◆ J・A・シィザーによるエッセイ 第一弾 ◆

ジュリア黙示録

――あるいは、わたしに纏わりついた「遠野物語」のような演劇的耳袋抄――


てさて、ブログのブも知らないわたしが何かを認めるならと、ふと思いついたタイトルが「ジュリア黙示録」・・・ジュリアとは天井棧敷の劇場の防音壁の隙間に落ち、母猫が助けられずに、やむなく見捨てられた2匹の孤児(みなしご)猫のうちの1匹の猫の名だ。ジュリアはシルバータビー似の落ち着いた大人っぽい猫だった。もう一匹は黒猫でジェリアと名付けた(2匹の名が当時のアメリカのアングラ劇団のリーダーだったジュリアン・ベック、あるいはジュリアス・シーザーに由来したのかは定かではないが・・・)。風雲吹き荒れる嵐の夜の劇場・・・ペンキでしっかり塗り固められた防音壁を剥がし、生まれて間もない、目脂で盲目同然の二匹の猫を手にすると、わたしは二階に駆け上がり、乾いたバスタオルで全身を丁寧に拭きあげ、人肌に温めた牛乳に4分の1錠のアリナミンを細かく砕いて混ぜ溶かし飲ませた。そんな手当ての甲斐あってか、彼らが元気を取り戻すのにそう時間はかからなかった。

「家なき子は俳優になるしかない(寺山修司「ガリガリ博士の犯罪」より)」

・・・2日後、2匹は目を明けた・・・わたしがいた・・・・動物は目を明けたその時に見た、生まれて最初に見たものを母親と決定する。わたしは小学校の頃に7匹の雀を飼ったことがある。が、彼らも目が明いて最初に目にしたのはわたしだった。だから親鳥になってもわたしの肩から飛び去って行くなんてことはなかった。

こんな話もある。アメリカの動物生態実験で、家鴨の卵を鷲の巣に入れ、鷲に自分の卵と一緒に抱かせ、無事、家鴨を孵化させた。するとどうだ、本来、草食であるはずの家鴨が鷲の給餌する鼠などの小動物の肉を食べるようになったのだ。さらには母のように空を飛びたくて、鷲(母鳥?)の飛ぶ姿を地上よりずーっと見つめ続けていた。そんな本来の己の生態(人生)とはまったく逆の育ちをしたため(というよりは人間の動物生態実験のために強いられたためにだが・・・)泳ぐことはおろか、いや、むしろ溺れそうになったり、空を舞うなんて夢憧のまた夢憧・・・出来るわけなかった・・・・。

さてさて、こんな実験が人間に通じるかどうかは分からないが、他人の産んだ赤ん坊の目の明く瞬間に目の前に立っててみようなんて悪戯は止めたほうがいいかも・・・・が、フランスで、ある人間実験が行なわれたという話もある。15歳になるまで完全隔離し、まったく人と会わせなかった男女を、15歳になったある月夜、ある屋敷の庭に真っ裸にして放ったという人間実験だった。・・・男にとって初めて見る女とは・・女にとって初めて見る男とは・・・・(このエピソードは万有引力公演「ダーウィン」、「アヴェロンの野生児」の1シーンとして取り上げられた)。

わたしはデザイン学校に行き、デザインこそ習ったが、大好きだったイラスト技法の絵画(特に早描き)は習わなかった。音楽にしても「音楽をやったら?」と言った寺山修司の壁越しの言葉や、そう言われて、翌日買った白いギター、それから一週間後に古本屋で買ったコードブックが音楽一年生のわたしの先生たちだった。

タイトルの耳袋抄の抄には「奥義抄、注釈書、また紙を抄く」の意があるらしい。そこで「これまでの自分の考えを、今一度、紙のように抄き、その紙の上に好きだった絵を描いてみよう」と・・・。

こんな思いつくがままの答(結論)無しの(いや、願わくば個々が個々の結論を見つけるための何かになれればと思いつつ・・・)「言葉の音楽」にしばし耳を・・・。

次回はジュリアの帰還とジェリアの死。「ペスト大流行=死の舞踏」と「疫病流行記=大滅亡」。

以降は、天井棧敷入団決意のルーツを尋ねて三千里。「恋人は捨ててきたか!親は捨ててきたか!故郷は!国は!・・・・(映画「ボクサー」より)」や「俺のどこかに二十歳がある(「永山則夫のための70行)より)」といった寺山修司の言葉がより深く、さらに拍車をかけて劇底世界へ・・・・。

演劇世界の成人式は50歳・・・・・。

天井棧敷にはワークショップやメソッドというものはなかった。が・・・・。

寺山修司との丑三つ時会議。演劇は死者を呼び起こすもの・・・つまり魂との交流が最も重要となる。「政治の届かないところでの革命=100人の観客の中の一人でも変革が起これば、革命は始まったこととなる」・・・

自分とは世界すべてを内包した唯一の世界状態である=自分が目を閉じれば世界は消える。

われわれに見ているものは光の反射によるもの(現、幻の存在=人間は思惟の存在である)。

ドイツの有名な指揮者フェルトベングラーの「音楽大学なんていらない」論。

赤ん坊を無菌室より解放し、産婆助産の復活(老人ホームからの解放)で有菌育ちを!


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One response to “◆ J・A・シィザーによるエッセイ 第一弾 ◆

  1. wow! is the first time that I can find a site of banyu inryoku and J.A. Seazer, I only wanna say that your performances and your themes in shojo kakumei utena has changed mi way of life! I’m spanish and is practically imposible find information of you and can listen your music (I like the most Jasumon, kyoujobushi)
    well I hope you will submit a comment here, because I admire you a lot!

    see you!

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