演劇実験室・天井棧敷の代表作「奴婢訓」のマジカル・マインド・ツアー参加記


♪ パリ寒身、パリ寒身、リヨン寒身、リヨン寒身・・・・・・・

ミラノ寒身、ミラノ寒身、イタリー寒身、イタリー寒身・・・

一人ぽっちのコヨーテ野郎 何も持たない旅芸人・・・・・・

雨のフランス蚤の市 スーザン・フェリアの優しさが

30フランのこの子犬 君恋しいと泣いている

運命の絆とともにイタリアの駅が通りすぎる・・・・・・・・

夜明けの風がヴァイオリン引きを踊らせる

サジャと名づけられた子犬も踊る・・・・・・・・・・・・・♪

これは1971年ユーゴスラビア(ベオグラード国際演劇祭BITEF)公演のあと、二ヶ月前のミス・インターナショナル=ハルミラ‘71で知り合ったグアム代表のスーザン・フェリアの待つパリへ行った時の、帰国も諦めかけた(ということは、劇団も辞めていた・・・)わたしの運命譚を歌った曲だが、さて、どんな運命譚であったか・・・は、次回のブログあたりで語るとして、今回は【2012年2月12日~19日、(渋谷、三軒茶屋、シアター・トラムで上演される「奴婢訓」】の字数の都合でチラシに書けなかった話でもしようと・・・。

「奴婢訓」の東京公演(地方公演も含め)は大劇場での公演がほとんどだったが、海外公演ではイギリス・リバーサイドスタジオ、最終公演となったフランス・シャィヨー劇場以外は《機械も入らないような小さな劇場》ばかりだった。しかも、スケジュール的にもかなり酷なものだった。先発隊は寺山修司、今回の舞台装置、機械デザイン担当の小竹信節(現在、武蔵美術大学 教授)、田中未知(カルメン・マキの『時には母のないこのように』の作曲家)とわたしの四人が中心メンバーだった。こんなエピソードがある・・・・

ある朝、始発の電車に座って出発時間を待っていると、いきなり6人の警官がやって来て「パスポートを・・・」と言った。それぞれがパスポートを差し出すと、見もしないで「ちょっと一緒に来て」と駅近くの警察署へ連れて行かれた。警官は田中未知だけを取調室に残し、われわれを40センチもあろうドアのある留置所に入れた。留置所は鉄格子の檻ではなく、3メートルの高さにある小窓以外は、ぶ厚い木の壁という20畳ほどの部屋だった。その壁にはアラブ語で書かれた言葉が、まるで叫んでいるかのように、あちこちに書いてあった・・・「まさか・・・・」。2時間ほどの田中未知の取調べだけで解放されたが、寺山さんは黙っていなかった。『この遅刻で公演が中止にでもなったら何らかの保障をしてくれるだろうね!』・・・警官たちは黙秘・・・が、一人の警官が劇場側に電話をして事無きを得たが・・・閉所恐怖症のわたしは何はともあれ気が気じゃなかった・・・おそらく麻薬所持の疑いだったんじゃなかったかと・・・・。

さて、先発、後発隊の劇作りスケジュールは以下のようなものだった

◎ 先発隊が4人、始発の電車、あるいは汽車に乗って今日の公演地に向かう。

◎ 劇場に着くと、劇場の何処をどう使うか?何処までをどう使うか?劇場周りは使えるか?照明は?音響は?わたしのバンド・スペースはありやなしや?といったプラン作りが迅速に想像(はじ)まる。

◎     一枚の模造紙に劇場の全体図を、そして劇場に合わせた舞台図が書き込まれる。大まかに区分けされた舞台空間に、劇場の出入り口やキャットウォークなどに、劇場の《隠されている面白そうな空間》にアルファベット順に名前がつけられ、俳優たちが何処から出て、何処へ行き、何処で演じて、何処から(何処へ)去るかの、全シーンの演劇ルートを書き出す。

◎     毎回のこの作業は寺山さんとわたしとで劇場順に交互で担当した。

◎       約2時間ほどのそんな作業が終わる頃、後発隊の俳優たちが機械、中・小道具、衣装、メイク、ポスター、チラシ、そして個人の荷物などを積んだ大型バス(50人乗りの前半分が座席、後半分が荷台)でやってくる。

◎       俳優たちは荷下ろしを始め、指定された場所に機械や小道具などを手際よくスタンバイしてゆく。手の空いた俳優たちは、演出テーブルに置かれている模造紙に目をやり、書かれた自分のルートを確認、記憶しながら、寺山さん、もしくはわたしに補足的説明を聞く。わずか3、4分の時間にだ・・・・。

◎       残った少しの時間で街へ出て食事をしたり、買い物したりし、公演の時を待つ。

◎       しかし連日公演ともなると、終演後のばらし、深夜1時過ぎの積み込みの後、そのまま次の劇場へ向かわなければならない。深夜のバス・ドライブを揺り籠に酒を呷り、睡眠をとる。早く到着すると劇場近くの駐車場で、街の寝静まりとともに劇場が開くのを待った。いつだったか・・・誰だったか・・・疲れ果てた身体をバスの座席に無理な形で横たえながら呟いたっけ・・・「地獄の公演だな・・・・」・・・すると、同じように疲れ果てた誰だったかが寺山さんの言葉を呟いた・・・「演劇とは地獄めぐりのことなんだよ」・・・。

極度の疲労は極上の陶酔状態となるらしいが、演劇の極度の疲労はそんな状態の中で《自分が自分の何かを、自分の何処かを治癒(手術》している》ような、《語りかけて何かを、何処かを癒し(吾守唄療法し)てる》ようなことも起こったことは確かだ。

いずれにしても「好きでなければ出来る事じゃない」だよな・・・「好きこそ物の上手なれ」だしな・・・でも、本当にわたしは演劇が好きなのかな・・・苦しみを楽しみに変えるほどの演劇が・・・苦しみは正方形で笑いは丸という演劇が・・・わたしも演劇に関わって40年以上・・・どこかにあるんだろうな・・・そんな麻薬的な超のつくような技術が・・・演劇には・・・・・。

「奴婢訓」是非観に来て下さい。そして《演劇の魔力=麻薬的な超のつくような技術》を見つけるか、見つける準備をしてください。ではまた・・・・!

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